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東京地方裁判所 昭和50年(行ウ)66号 判決

原告

長田たまえ

右訴訟代理人

坂東宏

外三名

被告

厚生大臣

渡辺美智雄

被告

右代表者法務大臣

福田一

右被告両名指定代理人

渡辺等

外五名

主文

一  原告の被告厚生大臣に対する訴えを却下する。

二  原告の被告国に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

1  被告厚生大臣は原告に対し、未帰還者である原告の長男長田堅憲のニユーギニヤにおける現地調査をなす義務のあることを確認せよ。

2  被告国は原告に対し、前項記載の現地調査をなす義務のあることを確認せよ。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二、被告ら

1  本案前の申立て

本件訴えをいずれも却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案の申立て

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  原告の長男長田堅憲(以下「堅憲」という。)は、太平洋戦争において、昭和一七年現役入隊をなし、昭和一九年ニユーギニヤ、サラワテイ島に駐屯、その後行方不明となり現在に至るも未帰還の状態にある。

厚生省援護局の説明によれば、堅憲は第一三野戦気象隊第一中隊に属し、サラワテイ島において戦務に従事中、昭和二〇年三月一七日午後五時、本田大尉等とともにマカツサルに所在する部隊本部に合流する目的をもつて、カヌーによりサラワテイ島を出発したことは確実であるが、目的地に到達した事実はなく、航海中敵の攻撃を受けて戦死したものと推測されるという。

2  しかしながら、堅憲が敵の攻撃を受け戦死した事実を確認した者は誰もいないし、目的地に着いていないという一事をもつて直ちに戦死したものとは認定できない。むしろ、原告は、昭和五〇年一一月サラワテイ島に赴いた際、同島住民のモハムド・アルフアンから同人が終戦後堅憲ら数名の日本軍人をかくまい、堅憲らは昭和二一年ごろ、カヌーでソロモン島本島に渡つたとの情報を得ており、堅憲が現在ニユーギニヤのどこかで生存していることの可能性は非常に強いといえる。

3  ところで、未帰還者、留守家族等援護法(以下、「法」という。)二九条によれば「国は、未帰還者の状況について調査究明をするとともに、その帰還の促進に努めなければならない。」とされている。そして、前記のように堅憲の生存の可能性が非常に強く、かつ、その調査範囲も限定されている以上、被告らが右規定による現地調査をなすべき義務を負うことは一義的明白に確定されており、しかも堅憲が現在すでに五五才に達していることからいつて、被告らにおいて速やかな調査措置を講じなければ回復し難い損害を生ずることも明らかである。

4  よつて、原告は請求の趣旨記載の判決を求め、本訴に及んだ次第である。

二、被告らの答弁及び主張

1  被告らの本案前の主張

(一) 原告が本訴請求の根拠とする法二九条は、その規定の内容、事柄の性質などから考えると単なる訓示規定であつて、国に対して法律上の義務を課し、また、国民に対して具体的権利としての請求権を付与したものとは到底解することができない。すなわち、同条の「努めなければならない」という規定の性質上、どの程度の行為をもつてその義務の履行をしたといい得るかを客観的、一般的に定めることは不可能であるし、また、国民の権利の行使の方法、手続などについて具体的な規定が全くないことなどから考えると、右規定は単に行政の指針あるいは努力目標を定めたものにすぎないというべきである。このことは、法の目的が専ら未帰還者の留守家族に対して手当を支給し、帰還した未帰還者に帰郷旅費の支給等を行い、もつてこれらの者を援護することにある(一条参照)ことからいつても明らかである。

このように、法二九条が国に対し義務を課し、国民に具体的な権利としての請求権を付与したものでないことは明白であるから、原告の本件訴えはいずれも法令の適用による解決に親しまないものであつて、法律上の争訟とはいえず、不適法な訴えとして却下されるべきである。

(二) また、行政権は内閣に専属するものであるから、裁判所が行政権を第一次的に行使したり、指導監督したりするような結果となる訴訟は、三権分立の原則に反し、原則として許されないものというべきである。

ところで、本訴において原告が求める現地調査を行うかどうかは行政の問題であるし、現地調査を行うためには外交交渉を必然的に伴うものであるところ、外交が行政権の固有の領域に属することは明白であるから、原告の本件訴えを適法なものとすれば、裁判所が内閣の専権事項について少なくとも指導監督作用を果す結果を招来することは明らかである。

もつとも、行政権の対象となる事柄であつても、法律規定から行政庁に裁量判断の余地がなく、特定の行政行為をなすべきことが一義的に明白であつて、その判断権を尊重すべき必要がないなどの特段の事情が認められる場合には例外的に裁判所が行政庁に対し具体的な行政の義務づけをなし得る余地もないとはいえないと考えられるけれども、本件の場合には法二九条の規定に照らし、右特段の事情があるとはいえない。

よつて、本件訴えはいずれも不適法として却下を免れない。

2  請求原因に対する被告らの答弁及び反論

(一) 請求原因1は認めるが、同2、3は争う。

(二) 堅憲に関する調査の結果によれば、同人の生存の可能性は否定されており、現地において調査すべき必要性は全くなく、したがつて被告らには調査すべき義務がない。原告は、昭和五〇年一一月現地に赴いた際、サラワテイ島の住民モハムド・アルフアンから堅憲らをかくまい、同人らは昭和二一年ころカヌーでソロモン島本島に渡つたとの情報を得たというのであるが、仮に右主張が事実であるとしても、その情報は約三〇年も前の記憶に基づくもので信用できないし、その生存の可能性も薄く、その地域も特定されていないのであつて、このような状況の下で、被告らに調査すべき義務があるということはできない。

三、被告らの本案前の主張に対する原告の反論

被告らは法二九条は訓示規定であると主張するが、同条は引揚者の帰国、帰還を前提とし、国民の権利に関連して国の行動を規律するものであつて、単なる訓示規定ではなく、その違反行為は行政訴訟による救済の対象となると解すべきである。確かに法二九条の施行については、同法施行令、施行規則によつても具体的に定められてはないが、厚生省設置法四条二項、五条によれば、厚生省は、①引揚援護、②戦傷病者、戦没者遺族、未帰還者留守家族等の援護、③旧陸海軍に属していた者の復員等の行政事務について一体的に遂行する責任と権限を有するとされ、さらに同法一四条の三によれば、厚生省の内部部局たる援護局の事務として援護法の施行、旧軍人軍属の復員手続、未帰還者の状況調査に関すること等が定められている。また、厚生省組織令は、右援護局の分課規定を設け、庶務課における具体的事務として引揚援護及び未帰還者等に係る事項の総合的企画及び調整事務、援護法の施行等の事務を(六五条)、調査課における具体的事務として未帰還者の状況調査及び未帰還者等の身上資料作成、保管事務等を挙げている(六七条)。

これらの法令により、被告厚生大臣にはその所掌事務遂行の権限が付与されると同時に、これを遂行すべき法律上の義務が発生したものということができ、被告らには未帰還者の状況調査等の行為をなすべき法律上の義務があるというべきである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一原告の被告厚生大臣に対する訴えは、抗告訴訟の一態様として行政庁に対し一定の処分をすべき義務が存することの確認を求めるものと解されるところ、このような義務確認訴訟が抗告訴訟として認められるかどうか、また、いかなる場合にそれが認められるかについては議論の存するところであるが、仮にこれを肯定すべき場合が存し得るとしても、そのためには、少くとも法令の解釈上、行政庁が特定個人に対する関係において、その者の利益のために一定の処分をすべき義務が一義的に定められていると解されることが必須の前提をなすものと解される。

原告は、被告厚生大臣が請求の趣旨記載の行為をなすべき義務を負うことの根拠として法二九条を援用する。なるほど、同条は、「国は、未帰還者の状況について調査究明をするとともに、その帰還の促進に努めなければならない」ことを定めているけれども、この規定をもつて直ちに国ないし政府に特定個人との関係でかかる調査をすべき法律上の義務を負わせ、右個人に対し調査すべきことの請求をなし得る権利を与えたものと解することができないことは明らかである。けだし、同条は、その規定自体極めて抽象的、一般的であつて、具体的にどのような場合に、どのような内容の義務が発生するのか、また、いかなる程度及び方法で調査すればその履行があつたとするのか、全く明確でなく、関係法令上もこれらの点につき具体的に定めた規定は存しないし、むしろ、同法の目的が専ら未帰還者の留守家族に対して手当を支給し、帰還した未帰還者に帰郷旅費の支給等を行うことによつてこれらの者を援護するにあること(同法一条参照)に照らすと、同法二九条の趣旨は、国が未帰還者の留守家族等に対する援護を行うことの前提として、未帰還という不幸な状態をでき得る限り解消するよう努力すべきことを国の責務として宣明し、行政上の指針を示したものにすぎないと解するのが相当であるからである。

このように、法二九条は、国民一般に対する一般的、抽象的な国政上の責務を明らかにしたものにすぎず、したがつて、これに対応する国民各個の具体的な権利を想定することは困難であり、まして、一定の具体的要件を充足する特定の個人に対し、その者の利益のために一定の行為をすべき具体的義務を国ないし政府に課しているものではないといわざるを得ない。

以上のとおりであるから、原告の援用する法二九条を根拠としては、被告厚生大臣が原告に対する関係において、原告の利益のためにその請求するような行政上の行為をすべきことを義務づけられていると解することはできず、他にかかる義務のあることを肯認させるに足る法令上の根拠はどこにも存在しない(なお、原告は、厚生省設置法、厚生省組織令において、厚生省における具体的事務の一つとして未帰還者の状況調査等が掲げられていることを根拠に、被告らには請求の趣旨記載の義務がある旨主張するが、それらの規定はいずれも厚生省内部における事務分掌に関する規定であつて、国ないし厚生大臣の国民に対する義務を定めたものではなく、また、国民の国等に対する権利を定めたものでもないことはいうまでもない。)。

そうすると、原告の被告厚生大臣に対する本件訴えは、行政庁の法令上の具体的作為義務として認められない行為を対象としてその義務確認を求めるものであり不適法というほかない。

二次に、原告の被告国に対する請求について判断するに、現行法令上、被告国が原告に対する関係において、その請求するような行為をすべき義務を負うと解すべき根拠が全く存しないことは前示のとおりであるから、結局、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告国に対する請求は理由がなく、失当である。

三よつて、原告の被告厚生大臣に対する本件訴えは不適法であるからこれを却下することとし、被告国に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(安部剛 山下薫 佐藤久夫)

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